【ホワイトデーSS】竜とリボンとチョコレート

1 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:28:34 ID:KQC6L.ak m 報告





「サザンドラ」





名前を呼ばれた。


ずっと昔から、いつも一緒にいる声に。


18 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:41:29 ID:3sUfyb7g [s] [1/29] 報告


俺が一歩踏み出すと、イーブイは二歩後ずさった。



──驚かして悪かった。……謝るよ。


──これ、……腹が減ったら食べてくれ。



怯えるイーブイの前に、赤い木の実を置いた。


19 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:42:39 ID:3sUfyb7g [s] [2/29] 報告




記憶を呼び起こそうとする度に、恐怖の感情が大きくなる。


塗りつぶされて、真っ黒で
何も思い出すことができない。


怖い。怖い。


自分がなんなのか分からない。

このモノズが何者なのかも分からない。

なぜこんなに問い詰められるのか分からない。

私が、何かをしでかしたのかも分からない。


逃げ出したくても、行く先すら分からなかった。


信じられるものがないのだ。



私の記憶。


私が覚えていること……。


言葉と名前……。あとは……。


20 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:42:54 ID:3sUfyb7g [s] [3/29] 報告




「腹が減ったら食べてくれ」



……赤い木の実。


そうだ、……これの味は知っている。


柔らかくて、甘酸っぱくて
口の中がキュウっとする……。


そうだ。確かに覚えているはずだ。




記憶の中のその味を、ゆっくり思い出して
生唾をゴクリと飲む。


鼻を近づけ、酸っぱい香りを確かめて

それから素早く口に咥えた。

舌の上を転がして、奥歯で……。



そう、そうだ。この味だ。

この味の記憶は間違ってない。

それだけは確かで、今私の中にある、数少ない確証の一つだ。

21 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:43:51 ID:3sUfyb7g [s] [4/29] 報告



「食べた……」


ボソリと呟く声が聞こえた。


そちらの方へ、顔を向ける。


思えばこの木の実の味は、最初にモノズから貰ったものだ。



「あ、も、もう……大丈夫なのか?」


震えは止まっていた。

何も言わずにそのままモノズの顔を見つめる。


「その……。いきなりいろいろ聞いてごめん……」


その声も、どこか引け目を感じているようだ。

高圧的な感じはない。


あの木の実のおかげで、少し気持ちが落ち着いたようだ。



そう、今の私は何も知らない。

知らないことは聞くしかない。



まだ不安の混じった小さな声ではあるが、

モノズに話しかけてみることにした。


22 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:44:40 ID:3sUfyb7g [s] [5/29] 報告





「私は……何も憶えてない……。ここはどこで、あなたは誰なの……?」



尋ねていた側だったのに、今度は急に尋ねられた。


──え。


思わず驚いてしまったが、

そう聞かれたら答えないわけにはいかない。

23 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:46:10 ID:3sUfyb7g [s] [6/29] 報告




確かに、人のことを聞く前に、まずは自分のことを明かすのも礼儀なのかもしれない。


俺はイーブイに、自分のことを話して聞かせた。



ここは一年中雪しか降らない山だということ。

俺は山から出たことがないこと。

今まで誰にも会ったことがないこと。

だから、イーブイに矢継ぎ早に質問を浴びせてしまったということ。



それ以外にも、イーブイから質問が飛んできては、次々とそれらに答えていく。

そうしているうちに、やがて辺りが暗くなり、
外では雪が降り始めていた。

24 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:46:32 ID:3sUfyb7g [s] [7/29] 報告



「私これから、どうしたらいいのかな」


不意に、そんな質問が飛んでくる。


──え?


その答えは、俺が知っているわけではない。



──さあ……。お前はどうしたいんだ?


そう訊き返した。


でも、こちらの質問への返答は、


「分かんない……」


相変わらずそれだけだった。



こいつのことは、俺がここまで連れてきた。

こいつ自身、身を置く場所を知らないというなら
尚更俺には分からない。


25 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:46:54 ID:3sUfyb7g [s] [8/29] 報告
◆◆◆




だからまあ。

あの答えで良かったんだろう。

今では大正解だったとすら思う。


26 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:47:24 ID:3sUfyb7g [s] [9/29] 報告




「なら、ここにいればいいよ」


──え?


「記憶が戻るまで、ここに居ればいい。……どうだ?」


願ってもない答えだった。


──いいの……?


「いいさ。……それしかないだろ? この山で誰かに死なれたら、俺も気分が悪い」

「それに俺だって、いつも一人じゃ退屈だしな」


──本当にいいの? ……なにかお礼とか。


「お礼……? ……なら記憶が戻ったら、俺にいろいろ教えてくれよ」


──うん。……分かった。


──じゃあ……。


「ああ、これからよろしくな。イーブイ」


──う、うん……。モノズ。


27 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:48:00 ID:3sUfyb7g [s] [10/29] 報告
◆◆◆



それから、俺は彼女と暮らし始めた。

最初のうちは、俺が彼女を養っていたが、
いくら待っても彼女の記憶は戻らず

やがて、協力して暮らしを送るようになった。

同じ飯を食べ、同じ雪原を駆け、同じ時を過ごす。

寒さが厳しい時でも、一人でいるよりずっと楽しかった。


そんな時間が

何日も、何年も経って


もう俺が一人でいた時間より、イーブイと共にいた時間の方が、ずっと長くなってしまった。


景色は何も変わらないのに

彼女といるだけで、俺は楽しかった。




俺がサザンドラになって、彼女はニンフィアへと進化した。


それでもずっと、その日々は続く。


山の雪が、溶けては積もって変わらないのと同じように。


ずっとずっと。


28 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:48:52 ID:3sUfyb7g [s] [11/29] 報告
◇◇◇



私は、時々夢を見た。



誰かがそばにいる夢。


誰だろう。


黒い体をしている。

でも、モノズでもジヘッドでもサザンドラでもない。


全身真っ黒で、長い耳があって、黄色い模様がついている。


大切な人だったのかもしれない。


けど思い出すことができない。



苦しそうに横たわる姿が、何度も夢に出てくる。

乾いた咳をして、息を荒らげる様子を見る度に、何かしなくてはという気持ちになるが

そこでいつも夢は終わってしまうのだ。


これは私の記憶なんだろうか。

ケホケホと掠れた咳の音が、耳について離れなかった。



29 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:49:22 ID:3sUfyb7g [s] [12/29] 報告
────◆◆◆




それで、俺が体調を崩したのは

ある年の、これから冬本番を迎えるという時期だった。



そんな経験は初めてだった。

身体中が熱って、すぐに喉が渇く。

汗をかくのに、寒気が止まらない。


額が熱いとニンフィアに言われた。


コホコホと咳が出る。


頭が割れるように痛い。

全身が思うように動かない。

息が上がって苦しかった。

何もできずにただ寝ていた。


ニンフィアは、そんな俺を献身的に看病してくれた。

彼女がいなければ、俺はもうとっくに野垂れ死んでいたかもしれない。



……と言うのも、俺は未だにその病魔に、体を侵されているのだ。


自分でも、日に日に悪くなるのがわかる。

木の実を持って帰ってきてくれるニンフィアに
すまないと礼を言うのが精一杯だった。

30 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:50:49 ID:3sUfyb7g [s] [13/29] 報告
◇◇◇




──気にしないで。


サザンドラが病床に伏せってもう何ヶ月も経つ。

毎日苦しそうに咳をしている。

頑張って看病しているのに、ちっとも良くならない。


あの夢……。

あの夢で見た黒いポケモンに、サザンドラが重なる。


掠れた咳も、苦しむ様子も、どこかよく似ていた。


その頃には、あの夢が私の記憶で

それがサザンドラを治す鍵になるという確信があった。


でも、すべてを思い出すには、何かが足りないのだ。




雪解け水の渓流の音が、遠くの方から聞こえていた。


31 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:51:15 ID:3sUfyb7g [s] [14/29] 報告
◇◇◇




暖かい日が続いている。


そんなよく晴れたある日のことだった。



渓流の音が、とても大きく聞こえている。


ここまで雪が溶け、水かさが増すのは

この数年でも類を見ないことだった。





──珍しく暖かい日が続くね。


声をかけても返事はない。

眠っているようだ。



──……ちょっと、見に行ってみるね。


音が気になって、私は出かけることにした。


陽気な山が、どんな姿をしているのか

それを知りたかった。

32 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:51:56 ID:3sUfyb7g [s] [15/29] 報告



音を立てている川は、山裾を流れている。

こちら側は普通の川岸だが、対岸は高い崖になっていた。


ゴウゴウと流れてゆく大量の水。


ずいぶんたくさん溶けてるな……。


そんなことを考えて

空の太陽に、じりじりと頭のてっぺんを焼かれているうちに、

ふと、ある光景が脳裏を過る。




夢で見たあのポケモンが、隣で倒れていた。


『イーブイ。ごめんなさい。あなたはだけはどうか、生きて……』


そんな声が聞こえた。



その瞬間、周りの景色が砕け散り

記憶が、鮮明に、鮮やかに、蘇った。

33 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:52:46 ID:3sUfyb7g [s] [16/29] 報告
◇────




私は昔、ポケモンたちが暮らす村に、母とともに住んでいた。


と言っても私と母は、近所との関わりもなく、細々と暮らしていたのだが。




──お母さん。お母さん。大丈夫?


目の前に、ブラッキーが寝ている。


「大丈夫よ。心配しないで、イーブイ」


そう言うと、ブラッキーはまたゴホゴホと咳き込むのだ。



母が病に伏しているのは、幼い私の目からも明らかだった。



我が家は、とても貧乏だった。


治せる病気さえ、薬が買えずに治せないほど。


……ただでさえそんな調子なのに、母が罹ったのはとても重い病で

村に伝わる万能薬でしか、治す方法はないと言われていた。


万能薬はその名の通り、どんな病気にも効く魔法の薬。


一度だけ、薬屋さんの奥の棚に、すごい値段で売られているのを見たことがあった。


万能薬とは言われなかったけど、あんなに高いならそうに違いない。


丸くて茶色いお薬が、小さなガラス瓶の中に二つ。

綺麗に輝いて入っていた。


34 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:53:37 ID:3sUfyb7g [s] [17/29] 報告



それで、私はどうしたんだっけ。



……ある日、母の具合がとても悪くなって


それで、私は……


頼みに行ったんだ。

薬屋さんに。

万能薬を譲ってくれないかって。

でもダメだった。

何度言っても聞いてくれなくて


だからそれで、ええと。


ああそうだ。

盗んだんだ。

誰も見ていないうちに。

こっそり。
35 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:54:10 ID:3sUfyb7g [s] [18/29] 報告


そうして私は家に帰って、母にそのお薬を飲ませた。

どうしたの? って聞かれたけど、内緒にしておいた。

盗んだなんて言えないもの。


母は飲んだらすぐに寝てしまって、

今度は村の方が騒がしくなったんだ。


きっと薬が消えたことに気づいて、騒ぎ出したんだと思った。


だから私は、逃げ出した。

母を背負って。

茶色い薬も持って。


あの時、母があんまり軽いんで驚いたんだっけ。


どこへ逃げたらいいのか、分からなかったけど
とにかく誰もいなさそうな場所を目指した。


走って、走って、走って

必死に走っていたが

後ろからは追っ手の声が聞こえていた。


それでも逃げに逃げて、やがて辺りは山道になった。


流石に逃げていた足が疲れてしまった。

すぐ後ろで、待て、待てと声がする。


走って走って、逃げて逃げて逃げていた私に、
激流の流れる音は聞こえていなかった。

36 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:54:49 ID:3sUfyb7g [s] [19/29] 報告




ふっと、前足が空を掻く。


目の前が開けて、視界に白い山が映りこんだ途端のことだ。


体が、落下する感覚を覚えた。


耳が風を切り、視界がぐるぐる回る。


私の落ちた崖の上で、追っ手の姿が踵を返すのを見た瞬間

視界が黒い水に移り変わり、私の意識はそこで閉じた。


37 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:55:26 ID:3sUfyb7g [s] [20/29] 報告
◇────


目を開けると、目の前に
黒い鼻と、赤い目があった。


ぐったりと、横になっている。


それが口を開いてこう言った。


「あなた、良いところを目指してきたのね」

「ここ、誰も近づかない禁足地よ。ふふふ」

私は、そのときはまだぼーっとしていた。


「イーブイ」

名前を呼ばれる。

「私はここで寝ていくわ。あなたはあの山を目指しなさい」

そう言って、黒い手が、目の前の白い山を指した。


そのとき私は思ったんだ。

このヒトは誰なんだろうって。


38 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:55:44 ID:3sUfyb7g [s] [21/29] 報告
◇◇◇


そうだ……。そうだ思い出した。




私は確かに、あの崖から落ちて、
でも助けてくれたんだ。


お母さんが。


そうだ。そうだ。そうだったのに……。


万能薬……。

母と一緒に、ここへ持ってきたあの薬。

あれがあれば、サザンドラを治せるかもしれない……。


探そう……。


あの茶色い宝石を……。






39 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:56:08 ID:3sUfyb7g [s] [22/29] 報告
◇◇◇



あの日降り積もった雪は、何もかもを覆って


そのまま今日まで溶けることはなかった。




流れに沿って、雪解けの岸辺を歩いて行く。



雪が積もって、固まってできた氷。



その氷河の中。



たぶん、奇跡としかいいようのないことが起きたのだと思う。



黒い姿を見つけた。



綺麗なままだった。


母はあの時のまま、静かに眠っていた。


その近くで、小さなガラス瓶が、陽の光を反射させている。



小一時間かけて、穴を掘った。


また雪が降る前に、今度はここにお墓を建てよう。




そんなことを考えながら、私は小瓶を持って、我が家へと道を急いだ。


40 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:56:47 ID:3sUfyb7g [s] [23/29] 報告
◇◇◇




──サザンドラ




名前を呼んだ。



──これ、食べて


そう言って、クスリを取り出す。

苦しそうな顔がこちらを向いた。


「ん……?」


口元へそれを押し付ける。


「なん……だ、これ……?」


掠れた声。


──いいから食べて


そう言うと、僅かに口が開かれた。

そのまま押し付けるように、口の中へクスリを入れた。


「ん……」




41 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:57:05 ID:3sUfyb7g [s] [24/29] 報告



それを口に含んでから、少し間を置いて
カリッと確かに咀嚼する音が聞こえた。


──どう?


「あ、ま……にが……い……」


──そう……


「どう……したん……だ……、これ……?」


──いいから今は、ゆっくり休んで



どうか、どうか。

私が愛したサザンドラがどうか。

またいつの日にか良くなって

一緒に山を歩けるように。


42 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:57:52 ID:3sUfyb7g [s] [25/29] 報告
◆◆◆


ふと目を開ける。

世界が少し明るい。

隣でニンフィアが寝ていた。


なんだろう……、体が軽い。


──……ニンフィア


恐る恐る声をかけてみた。

彼女の耳が、ピクリと動く。

ぼんやりとこちらを見た薄目が、すぐに丸くなった。


「サザンドラ!」


言うなり彼女は跳ね起きて、俺に向かって飛んできた。

前足を首にかけられ、強く抱きしめられる。


「サザンドラ、サザンドラ! 良かった……!」


喉から絞り出すような声でそう言われた。


──待ってくれ、……まだ痛む。


節々に痛みが残っている。


しかし体は、前よりずっとよくなったようだった。



「ご、ごめん……。大丈夫?」


こくりと頷いてみせた。


取り巻くリボンが揺らめいて

嬉しそうな彼女の顔が、雲間に覗く太陽のように眩しかった。

43 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:58:16 ID:3sUfyb7g [s] [26/29] 報告
◇◇◇



サザンドラが起きてくれた。


私の隣に、また立ってくれた。



ああ、どうしよう。

やりたいことが、言いたいことが、してみたいことがたくさんある。


「ニンフィア。いろいろごめんな。大変だったろ……」


掠れた声じゃない。

彼のあの声で、名前を呼ばれた。

胸が逸って、それがなんとなく窮屈で、照れくさくて、気持ちよくて

詰まるような声が出る。


──ううん。……良かった。

──治ってくれて、本当に。


「……。ありがとう。ニンフィア」


その声に、ぐっと喉の奥が詰まるのだ。

涙がこみ上げてくる。

瞳が感情で潤んだ。


「その……。何か、したいこと、とか……ないか?」

「お礼……。俺にできるのは、何かをしてやることくらいだから……」


──お礼……。いいの?


「ああ」


──じゃあ……、私とデートして


44 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:59:13 ID:3sUfyb7g [s] [27/29] 報告
◆◆◆



──デート?


声が上ずるのがわかった。


デート?

意味はわかるが訳が分からない。

なんで……。



まあでも……。

いいこと……、なのか。

願ってもないことと言ってもいいかも知れない。

そうか、ニンフィアとデート。

……それもいいな。



45 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:59:29 ID:3sUfyb7g [s] [28/29] 報告



──デートって、つまり何をするんだ?


「それは、だから……。一緒にいろんな所を見て回ったり……、一緒に遊んだり……」


──一緒に遊ぶ……。なんか懐かしいな。


「い、いいからっ。するのかしないのかどっち?」


──分かった。しよう。俺でいいなら。



嬉しかった。


それもそうか。

俺もこいつが好きなのだから。




ニンフィアは、微かに笑って、小さく頷いた。


「うん。ふふ」

思えば、彼女の笑顔が見れたのも久々かもしれない。


春に向かう空は蒼く
暖かい風が、果物の香りを運んできた。

今年の春は、やけに暖かい。


46 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/14 23:59:54 ID:3sUfyb7g [s] [29/29] 報告
◇◇◇



この山にやって来てからというもの、雪が溶けることは一度もなかった。

白い景色は変わらずに、山の表情は固いまま。


それが今、不思議なことに

照る太陽は雪水を創り、暖かな風が粉雪を吹き除けていた。

山が徐々に化粧を落とし、柔らかな素顔を顕にし始めているのだ。



「いい天気だな」


──うん。ほんとに。



長い長い冬の山に、ひと時の春が訪れている。



◇◇◇



私とサザンドラは、共にいろんな場所を巡った。


小さい頃、一緒に駆けた草むら。

いつもは凍った大きな山湖。


私が落ちた崖にも行った。

谷川は雪解け水で溢れていたが、

岸に綺麗な花が咲いていた。


47 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/15 00:00:23 ID:loILoC.I [s] [1/11] 報告


それから、いつもより熟れた木の実を少し採って
それを持って山を登る。

久々の頂から、春の裾野を見下ろして
食べて、笑って、語らった。




──これからも、この山で暮らすのかな。


「そうだな……」


──たまにこんな景色が見られるのなら、悪くないかも。


「ああ」


──私たちは、ずっと二人でいるのかな。


「まあたぶんな」


──サザンドラ、私はさ……。


「うん」


──私は、あなたが好き。


「……」



淀みなく、すっとその言葉が口から出た。


48 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/15 00:00:53 ID:loILoC.I [s] [2/11] 報告


「……うん」


──……。こういうのって、どう伝えたらいいんだか分からないんだけどさ……


──あなたはどう……? 私のこと……。


今はなぜだか、そう尋ねるのも怖くない。

さっき食べた木の実が、今になって酸っぱくなってきた。


次第に次第に、日は傾いている。


49 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/15 00:01:51 ID:loILoC.I [s] [3/11] 報告
◆◆◆



少し前から、嫌な感じがしていた。


気味の悪い感覚が、俺の体にまとわりついている。





「あなたはどう……? 私のこと……」




即答できる問いだった。


──俺も……。


好きに決まってる。

どれだけ共に時間を過ごしても、それ以外の感情は抱けないと思う。

なんだか、ごくごく当たり前のことのような気さえした。


──俺も、お前が好きだ。ニンフィア。


言った。



山際に浮かぶ夕日の色か定かではなかったが
仄かなオレンジが、頬を染めている。



「ああ……、良かった」


綻んだ瞳も潤んだ頬も、鴇色を映して美しかった。


「良かった……」


泣いているのか笑っているのか
黄昏に浸る表情は、一目で判断出来ないが。


──うん。
50 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/15 00:02:30 ID:loILoC.I [s] [4/11] 報告





嫌な感じがしている。







──今日は、楽しかったか?


「うん。とっても」


──幸せだったって、言えるか?


「うん。幸せだった」


──そうか。俺、お前を幸せにできたかな。


「急にどうしたの?」


──いや、「お礼」できたかなって。


「……そりゃもう。十分すぎるくらい」


──そっか。良かった。お前は幸せか。


「うん。幸せだよ」
51 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/15 00:02:51 ID:loILoC.I [s] [5/11] 報告
──……ニンフィア。


「なに?」


──お前にはどうか、これからも幸せでいてほしい。


「え? ……うん」


──俺なんかよりずっとずっと、幸せでいてほしい。


「私は……、サザンドラがいれば、いつでも幸せだよ……?」


──ああ。だから、どうか俺のことは忘れて、幸せでいてくれないか。


「何言ってんの……、サザンドラ?」


──それが、俺の願いだ。


「変な冗談言わないでよっ。早く帰ろう。……私たちの家に」


──ああ。ごめん、ニンフィア。ごめんな……。


「なんで……。謝るの……」



──俺は、幸せだった。




目の前が真っ暗になった。



夕日が、沈みきったわけではなかった。


52 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/15 00:03:51 ID:loILoC.I [s] [6/11] 報告
◇◇◇



──幸せだったってなに。



彼は、夕日と共に闇へ落ちるかのように
足元へ倒れ込んだ。




幸せ、だった?



これからは?



嫌だ……。


──嫌だよサザンドラ……。



薬のビン。

からっぽ。



──なんで。


──ねぇ。起きてよ、ねぇ。


53 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/15 00:04:15 ID:loILoC.I [s] [7/11] 報告


顔を覗く。

静かだ。

とても静か。


──サザン……ドラ……。



表情は、安らかに見えた。


そう、青くて、私が好きな、サザンドラの顔。


近づいても近づいても、彼から息遣いは伝わらない。



そっと、その口の上に、唇を重ねた。


食べた木の実の甘さと、何か微苦い香りがした。


甘くて大人で、どこか切ない味がした。


ふと昔を思い出す。

なんとなく分かってはいたのだ、万能の薬なんて
そんなものはないんだって。

54 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/15 00:04:39 ID:loILoC.I [s] [8/11] 報告
◇◇◇




……ああ。


また私は失ってしまったのだろうか。


ずっとずっとずっとずっと、涙はとめどなく溢れていた。

もしサザンドラが急に起き上がりでもしたら、
そのまま顔にはかいこうせんをかましてやりたいくらい顔がぐしゃぐしゃになっている。



なんで私ばかりが、こんな思いをしなくてはならないのだろう。


なんでサザンドラは私に、こんな辛い思いだけを残して逝ったんだろう。


そう考えると、少し腹が立たないでもなかった。


こんな心傷を植え付けておいて、ごめんねだけで去ろうだなんて。


55 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/15 00:06:01 ID:loILoC.I [s] [9/11] 報告


そうだ、ならこうしよう。


あいつは私に、「幸せになってほしい」「俺のことは忘れてほしい」

そう言った。


だったら私は、幸せにならないでいてやろう。

サザンドラをずっと憶えていてやろう。




声が低かった。

いつも優しかった。

どんなときも、そばにいてくれた。

サザンドラが、……私は好きだった。



だから……、ずっと

ずっとサザンドラを愛して

ずっと涙を流していよう

涙が渇れても、雪が降るたびに。

楽しかった日を思い出して。





それが、私からのお礼


彼への、精一杯の"お返し"だ。




56 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/15 00:06:23 ID:loILoC.I [s] [10/11] 報告
◇◆




夜の山がまた、静かに雪をまとい始めた。



冬果実の赤い実は、今日もまた酸っぱかった。








「竜とリボンとチョコレート」


おしまい


57 : 匹の羊◆QsVrxuaWuk 18/03/15 00:12:34 ID:loILoC.I [s] [11/11] 報告
終わります。

http://pokemonbbs.com/sp/poke/read.cgi?no=768396
こちらの企画に参加させていただいています。

急いで書いたら間に合いませんでした。
ごめんなさい……