【SS】大団円はビタースイート:ポケモンBBS(掲示板) 【SS】大団円はビタースイート:ポケモンBBS

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【SS】大団円はビタースイート

 ▼ 1 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 19:50:32 ID:maoQvZlE [1/26] NGネーム登録 NGID登録 報告



覗き込んだオーブンの中では、オレンジの光の中で材料がぷつぷつと泡立っていました。


「あんまりオーブンさんを急かしてやるなよ」


トレーナーさんが笑っています。でも、急かしているわけではありません。

これから焼けるこのスポンジケーキを、わたしのクリームでどうやってデコレーションするか、考えているのです。

ほのかに甘く暖かいこの待ち時間が、トレーナーさんと一緒にクリームで飾り付けをする時間の次に好きです。
 ▼ 2 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 19:51:04 ID:maoQvZlE [2/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

でも、少し不思議です。

そう言うトレーナーさんだって、焼けるまでリビングのソファーに座って待っていればいいのに。

トレーナーさんは、キッチンをひっきりなしにうろついて、調理用具や材料をあれこれつっついています。

そして時々、チラりとオーブンを見るのです。

わたしは思わず笑ってしまいました。

オーブンを急かしているのは、トレーナーさんの方かもしれません。
 ▼ 3 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 19:51:46 ID:maoQvZlE [3/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

「な、何笑ってんだ」


気づかれてしまいました。だって、いつになくソワソワしてるのがおかしくて。

まるで初めてケーキを焼いたときみたいです。
お菓子作りがまだ不思議な魔法の儀式だった頃みたいに、トレーナーさんはソワソワうろうろしています。

ケーキ作りはもう慣れっこなのに、いったいどうして?


「……特別なんだよ」


トレーナーさんは、材料置き場を弄りながら、観念したように言いました。


「緊張してんの。今から作るのは、特別なやつだから」


 ▼ 4 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 19:52:21 ID:maoQvZlE [4/26] NGネーム登録 NGID登録 報告








【SS】大団円はビター&スイート







 ▼ 5 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 19:55:28 ID:maoQvZlE [5/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

それから、トレーナーさんはこれから作るケーキの「特別」について、わたしに教えてくれました。

明後日は、特別な思いを伝えるための特別な日。

トレーナーさんは、幼なじみの女の子にチョコレートケーキを渡して、好きだと伝えるのだそうです。

わたしがマホミルだった頃、この家でよく遊んでもらっていた子です。

わたしもその子のことは好きです。でも、トレーナーさんの伝える「好き」は、わたしの「好き」とは少し違うらしいのです。

だから特別なんだと、恥ずかしそうに、でも少し嬉しそうに、トレーナーさんは言いました。
 ▼ 6 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 19:56:08 ID:maoQvZlE [6/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

けれど、特別な「好き」ってどういう感じなのでしょう。

トレーナーさんは、あの子のことをどう思っているのでしょう。

むずかしいです。想像もできません。

考えれば考えるほど、よく分からない何かがわたしの中を駆け巡りました。

温かいような、苦しいような、とても不思議な何かです。

この何かを、どこかで感じたことがあったような気がしました。

でもやっぱり、よく分からないのです。
 ▼ 7 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 19:56:42 ID:maoQvZlE [7/26] NGネーム登録 NGID登録 報告


「マホイップ。おーい、マホイップ」


トレーナーさんに頬を突っつかれて、はっとしました。


「どうしたんだよ。口開けて、ボーッとして」


むずかしいことを考えすぎて、上の空になっていたみたいです。


「ほら、お待ちかねのクリームタイム。今日も頼りにしてるからな」


トレーナーさんが指差した調理台には、焼き上がったスポンジケーキが置いてありました。

調理台の手前には、さっきまで電子レンジの前にあったわたし専用の踏み台が。

そうでした。今はお菓子作りの途中なのです。
 ▼ 8 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 19:57:21 ID:maoQvZlE [8/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

わたしが踏み台に登り、トレーナーさんも横に立ちます。

トレーナーさんと同じ目線になるこの高さが、わたしは好きです。どんな顔をしてるのか、よく見えます。


「まぁ今日はまだ試作だし、いつも通り気楽に作ろうな」


なんて言いながら、トレーナーさんはちょっぴり気合が入った顔でした。

特別だもんね。

わたしも張り切って飾り付けしないとです。
 ▼ 9 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 19:57:57 ID:maoQvZlE [9/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

ココア色をした小さな丸いスポンジケーキをじっと見つめます。

贈り物だから、わたしが好きなように飾り付けるわけにはいきません。

女の子に渡すなら、可愛いのがいいでしょうか。

でも、トレーナーさんが渡すなら、可愛すぎても変かもしれません。

どうしましょう。困りました。
 ▼ 10 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 19:58:28 ID:maoQvZlE [10/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

「そんなに悩まなくてもいいよ。アイツはお前のことも知ってるんだし」


固まってしまったわたしに、トレーナーさんが笑いかけます。

でも、「なんでもいい」は一番むずかしいです。

何かヒントはないですか? と、トレーナーさんを見つめます。

するとトレーナーさんは真剣な顔で、少しうなって。


「シンプルなのが好み、かな。多分」


そうなんだ。なら、控えめにデコレーションすれば良さそうです。

落ち着いた飾りつけのチョコレートケーキ。なんだか少し大人です。
 ▼ 11 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 19:59:03 ID:maoQvZlE [11/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

スポンジケーキの上に手をかざして、じっと集中します。

すると、手の先にほわっとした白い光のかたまりが生まれました。

クリームの魔法です。この光でスポンジを包むと、想像した通りにクリームで飾り付けできます。

わたしの作れる味はミルキィバニラだけですが、この光の中にフレーバーを混ぜると、クリームの味が変わります。

混ぜるのはトレーナーさんとの共同作業です。

この甘くて不思議な光を一緒に少しずつ大きくしていくのが、わたしはとても好きです。
 ▼ 12 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 19:59:44 ID:maoQvZlE [12/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

「よし、いくぞ。せーの」


トレーナーさんが、溶かしたチョコレートを光の中に垂らしていきます。

白い光は、チョコレートの黒と溶け合いながら、少しずつ広がりはじめました。

ふと見たトレーナーさんの横顔は、口を固く結んでクリームの光を見つめています。

「心をこめる」という言葉がよく似合う顔です。
 ▼ 13 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 20:00:25 ID:maoQvZlE [13/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

わたしのクリームに、今、トレーナーさんがあの子に伝えたい「好き」が注がれているのだと思います。

その「好き」がどういうものなのかは、よく分かりません。

けれど、ケーキを作る真剣な表情や、あの子の話をするときの恥ずかしいような嬉しいような表情の一つ一つが、そうなんだと思います。

「好き」のせいなんだと思います。

少しココア色に濁った光と一緒に、暖かくて苦しい不思議な何かが、頭の中で大きくなっていきました。
 ▼ 14 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 20:01:01 ID:maoQvZlE [14/26] NGネーム登録 NGID登録 報告



クリームで飾って、それからしばらく冷やして、ケーキが出来上がりました。

控えめなチョコレートクリームの飾り付けが、ちょこんとした大きさのケーキによく似合っています。

普段はこんもりふわふわにデコレーションするけれど、シンプルなのも素敵だなと思いました。

上品で、でも少し寂しそうなのが、好きです。

ケーキはお姫様です。ふわふわの白も、慎ましやかな黒も、なんでも着こなせてしまうのです。
 ▼ 15 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 20:01:41 ID:maoQvZlE [15/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

「さて、どんなもんかな」


今日はひとまず試食です。トレーナーさんのフォークがケーキに沈んでいきます。

小さく切り取ったケーキを、トレーナーさんが口に運びました。

食べてる顔を見るのが好きです。

美味しさの数だけ「美味しい」の顔があって、それを見るのが楽しみだからです。

今もトレーナーさんの新しい「美味しい」を見るのが楽しみなのです。
 ▼ 16 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 20:02:30 ID:maoQvZlE [16/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

でも今日は、様子が違いました。

眉を寄せて、むずかしい顔をしています。

トレーナーさんはフォークを置いて、わたしのおでこにピタリと右手を当てました。


「熱はない、か。でもさっき、ボーッとしてたし……。なぁマホイップ、大丈夫か?」


どうして、わたしの体の調子を心配しているのでしょうか。
 ▼ 17 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 20:03:31 ID:maoQvZlE [17/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

それから、トレーナーさんはぶつぶつ言いながら、光る板で何か調べごとをはじめました。

光る板に書いてあることは分からないので、トレーナーさんの独り言に耳をすますと、


「クリームが甘くないなんて、おかしいよな……」


とても不安そうに、そうつぶやいていたのです。
 ▼ 18 リボーグ@タマゴけん 20/02/11 23:02:49 ID:maoQvZlE [18/26] NGネーム登録 NGID登録 報告






特別な日まで、あと1日です。

学校から帰ってきたトレーナーさんが一人でキッチンに向かおうとしたので、わたしは慌てて服の裾を掴みました。


「お前……本当に大丈夫なのか?」


一生懸命うなずきます。だって、どこも悪くなんてないのです。


「でも昨日は、なんか……わわっ!」


トレーナーさんを引っぱって、キッチンに向かいます。

昨日も、今日も、わたしは元気です。お菓子作りが大好きです。
 ▼ 19 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 23:03:40 ID:maoQvZlE [19/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

トレーナーさんは、どうにか納得してくれました。

今日はもう失敗できないので、ケーキに塗る前にクリームを作って、トレーナーさんが試食します。

甘いクリームを作る一番のコツは、楽しく作ること。トレーナーさんがそう言っていました。

昨日はきっと、緊張してしまったのです。

あの不思議な何かのせいです。むずかしいことを考えすぎて、楽しさが隠れてしまったのです。

だから今日は、いつも通り。いや、いつもよりも、とびきり楽しく作るのです。

明るく、明るく。笑って、笑って。
 ▼ 20 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 23:05:42 ID:maoQvZlE [20/26] NGネーム登録 NGID登録 報告


そうしてできたクリームを、小皿に盛り付けました。

それをトレーナーさんが、人差し指にすくいとって口に運びます。


「ん。甘い」


ああ、よかった。ほっと胸をなで下ろしました。

やっぱり、楽しく作れば大丈夫なのです。

ほらね、と、トレーナーさんの方を見ます。「美味しい」の顔が見たくて。

けれど、それは今日も叶いませんでした。


「ちゃんと甘いよ、マホイップ」


トレーナーさんは、わたしを見つめて微笑んでいるのです。

優しく、そしてひどく不安そうに、微笑んでいるのです。
 ▼ 21 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 23:06:02 ID:maoQvZlE [21/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

トレーナーさんは、それ以上何も言いませんでした。

けれど、よくない味なのは分かります。

すぐにもう一回、もう一回と、クリームを作り直しました。

けれどそのたび、クリームを舐めたトレーナーさんは同じ顔をするのでした。

もう一度クリームを出そうと手をかざすと、その手をトレーナーさんが握りました。


「ちゃんと甘いって。大丈夫。な?」


そしてもう片方の手でわたしの頭を撫でました。

撫でられるのは好きです。

けど、今は。今は違うのです。
 ▼ 22 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 23:06:54 ID:maoQvZlE [22/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

「ほら、クリーム塗ろう」


トレーナーさんは、冷ましてあったスポンジケーキを調理台に置きました。

きっと、トレーナーさんは今日のわたしのクリームを美味しいと思っていません。

でも、それを言ったらわたしが傷つくから、トレーナーさんはケーキを作りを止めさせないでいるのです。

優しくされるのは好きです。でも、今はとても苦しいです。

だって、これで失敗したら、トレーナーさんの「特別」は。
 ▼ 23 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 23:07:42 ID:maoQvZlE [23/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

どうしよう。どうしよう。スポンジケーキの上に手をかざして、考えます。

もし美味しいクリームにならなかったら、トレーナーさんはどうするのでしょうか。

そのケーキを渡すのでしょうか。代わりの何かを買って渡すのでしょうか。何も渡さずに想いを伝えるのでしょうか。

それとも、伝えるのを諦めるのでしょうか。

そんなのは嫌です。

この一つしかないスポンジケーキに、ちゃんと美味しいクリームでデコレーションしなければなりません。
 ▼ 24 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 23:08:18 ID:maoQvZlE [24/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

どうして美味しいクリームを作れないのでしょう。

このケーキ作りと今までで、何が違うのでしょう。

いつも通りにできればいいだけなのに。でも、いつも通りって、どんなだったでしょうか。

楽しく作るのが、甘いクリームを作るコツ。

いつも楽しかったから、こうやって考えたこともありませんでした。

わたしはどうして、お菓子を作るのが楽しかったんでしょうか。

今はどうして、苦しいんでしょうか。

どうして、こんなに。
 ▼ 25 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 23:08:39 ID:maoQvZlE [25/26] NGネーム登録 NGID登録 報告





──ああ、そっか。




 ▼ 26 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/11 23:09:33 ID:maoQvZlE [26/26] NGネーム登録 NGID登録 報告

わたしは目を閉じて、スポンジケーキに手のひらをかざしました。


むずかしくなんてないのです。簡単です。

想像できないのではないのです。想像したくなかったのです。

分からないのではないのです。分かりたくなかったのです。

けれど今、分かってしまったのです。

暖かくて苦しい不思議な何かの正体。

それが、美味しいクリームの作り方なのです。


 ▼ 27 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:19:49 ID:pSAA.iAs [1/29] NGネーム登録 NGID登録 報告






学校が終わり、俺は立ち漕ぎで帰路についていた。

いよいよ今日だ。アイツにケーキを渡す約束は、20分後、5番道路の橋の上。

俺が家の冷蔵庫からケーキを回収して橋まで戻るのと、アイツが歩いて下校して橋の上を通るのは、ほぼ同時になるはずだ。

ケーキを直前まで冷やし、女子を待たせず、さらに夕焼けに染まるワイルドエリアを一望できる絶景スポット。

ついでに人通りも少ない。

我ながら、これ以上なく完璧なセッティングだ。

ただし全力の立ち漕ぎが前提だし、経験上アイツが時間を守ることはまずないが。
 ▼ 28 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:21:43 ID:pSAA.iAs [2/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

いつもより心臓が忙しく脈打っているのを感じる。

必死で漕いでいるせいか──それとも不安を主張しているのか。

落ち着け。大丈夫だ。

事あるごとに「まだ付き合ってなかったの!?」と言われる仲だ。

百戦錬磨の親友が脈アリの太鼓判を100回ぐらい押している。

幼少の頃に本人の口から求婚された覚えもある。

今日約束を取り付けたときだって、間違いなくいい感じだった。
 ▼ 29 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:23:21 ID:pSAA.iAs [3/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

これまで何もなかったのは、アイツが恋愛に関してかなり引っ込み思案だからだ。

男っ気のある話など、高校生の今に至るまで聞いたことがない。

だからこちらから行くのだ。お互い意気地なしでは始まらないから、このバレンタインという日を間借りして、曖昧な関係に終止符を打つのだ。

何より、俺には心強い味方がついている。

昨日マホイップが最後に作ったクリームは、ほかのどんなスイーツよりも美味かった。

バレンタインの贈り物で、あれ以上のものはないと確信できる。
 ▼ 30 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:28:45 ID:pSAA.iAs [4/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

告白の不安はおおよそ吹き飛んでくれたようだった。

しかしその代わり、今度は元々心に留まっていた別の不安が顔を出す。

マホイップのことだ。

最後のクリームはいつも以上に絶品だったが、そこに至るまでのクリームの味が何か変だった。

甘いは甘いのだが、何かごちゃまぜの味を上から甘味で塗りつぶしたような、そんな味。

しかもその前の日には、全く甘みのないクリームが出てきている。

クリームの味にはその時の気分が影響すると、ネットの記事にそう書いてあった。

これが本当なのだとしたら、マホイップは何か大きな不安や悩みを抱えているのではないだろうか。
 ▼ 31 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:29:50 ID:pSAA.iAs [5/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

でもそれにしては、昨日の最後のクリームは完璧な味だった。

なら、最後のデコレーションをする時には悩みは晴れていた?

俺がこのケーキ作りを特別だなんて言ったから、それが重いプレッシャーになってしまったのだろうか。

……なんにせよ、昨日あれだけ頑張ってくれたマホイップにはとびきりの感謝を伝えなければならない。

告白に失敗したらきっとマホイップは責任を感じてしまうから、なおさら成功させたい。

そう思うとなんだか気が急いて、俺は自転車のギアを一段上げた。

 ▼ 32 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:31:18 ID:pSAA.iAs [6/29] NGネーム登録 NGID登録 報告



「ただいま!」


思ったより時間が押している。玄関を閉めるのももどかしく、俺は冷蔵庫へと急いだ。

確か、ケーキは一番上の棚の手前側。最短の回収をシミュレーションしながら、キッチンに駆け込む。

しかし、ケーキは冷蔵庫を開ける前にみつかった。

冷蔵庫の前に置かれた踏み台の上で、マホイップがケーキの小箱を抱えていたからだ。
 ▼ 33 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:32:41 ID:pSAA.iAs [7/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

「……どうした?」


返事は返ってこなかった。俯いていて、表情はよく見えない。


「出しといてくれたのか? これ」


やはり返事はない。

小箱に触れると、まだ冷たかった。

冷蔵庫から出したのはついさっきであることが分かり、ひとまず安堵する。

しかし、マホイップの様子が明らかにおかしい。

クリームの味が変わったときともまた違う。

見ているだけで悲しくなるような、まるで今にも消えてしまいそうな。

そんな不安に胸がざわつく。
 ▼ 34 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:34:38 ID:pSAA.iAs [8/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

どうしたいのだろう。どうしてあげればいいのだろう。

抱えているケーキを持っていってはいけない気がする。

それに、マホイップをここに置いていく気にはなれない。

けれど、何と声をかければいいのか分からない。どう声をかけるのも、怖かった。

……ダメだ、約束まで時間がない。

俺はマホイップが箱を抱えている理由をどうにか考えた末、最初に思い当たったものに賭けた。


「一緒に渡してくれるか、マホイップ」



──この的外れな推測が、後に大惨事を招くとも知らずに。



 ▼ 35 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:36:33 ID:pSAA.iAs [9/29] NGネーム登録 NGID登録 報告



約束の橋に差し掛かると、真ん中でアイツが手を振っているのが見えた。

橋の上にいるのはどうやら俺たちだけのようだ。

マホイップを載せた自転車カゴが揺れない程度にスパートをかける。

結局、約束の時間には5分遅れだった。


「待たせた。すまん」

「いいよ、いっつもあたしが遅刻する側なんだから。待つって新鮮だね」

「そうか……すまん」


時間にルーズな彼女が、珍しく約束通りに来ていたのだ。

それほどこの約束を大事に思ってくれていたのが嬉しく、だからこそ待たせてしまったのが余計に悔しかった。
 ▼ 36 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:37:21 ID:pSAA.iAs [10/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

「それで、その……何? 改まって呼び出したりなんかして」


いつになく真面目な調子で、彼女は問いかけてきた。

そのトーンだけで、何か覚悟をしてここに来たのだと分かる。

それはきっと、俺がしてきたのと同じような覚悟。


「渡したいものと、伝えたいことがある」


友達以上恋人未満は今日で終わらせるのだという覚悟だ。
 ▼ 37 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:38:03 ID:pSAA.iAs [11/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

「さ、マホイップ」


ケーキを渡そう、とマホイップに促す。

けれど、動かない。

自分で渡したいから持っていた、というわけではなかったらしい。

ということは、マホイップがケーキを抱えているのは──

──渡したくないから、ということになるのだろうか。
 ▼ 38 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:40:11 ID:pSAA.iAs [12/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

「ねぇ。マホちゃん、大丈夫なの?」


心配そうに彼女が言う。

俺はしゃがみ込んで、マホイップと目線を合わせた。

どうしたらいいのか分からない──マホイップはそんな顔をしていた。

俺もどうしたらいいのか分からなかった。


「なぁ、マホイップ。このケーキは──」


言うべきこともまとまらないまま、俺は小箱に手を伸ばした。

伸ばしてしまった。

その瞬間。


マホイップの体は、赤く、まばゆい光に包まれた。


 ▼ 39 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:41:30 ID:pSAA.iAs [13/29] NGネーム登録 NGID登録 報告




簡単なことだったのです。

分かってしまったのです。

想像もできるのです。

特別な「好き」も、それを伝える幸せも。

でもやっぱり、ダメです。無理です。嫌なんです。

だって、だって、だって──。



 ▼ 40 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:43:28 ID:pSAA.iAs [14/29] NGネーム登録 NGID登録 報告



激しい光で目が眩み、何も見えない。


「マホイップ? マホイップ!」


呼び掛けには返事がなく、伸ばした手も空を切った。

あの赤い光に飲み込まれて、マホイップが消えていく。そんな光景が脳裏をよぎる。

違う。ありえない。大体、フェアリータイプのポケモンが光るぐらいよくあることで。

しかし不安を振り払おうとする俺を嘲笑うかのように、今度は地面が激しく揺れた。

やめてくれ。勘弁してくれ。

マホイップはそこにいる。消えたりなんかしない。
 ▼ 41 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:44:56 ID:pSAA.iAs [15/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

縋るように目を開ける。

赤い光は消えていた。揺れももうない。


「マホイップ! おい!」


しかし橋の上にマホイップの姿は見当たらない。

足が遅いから、そんなに遠くに行っているはずもないのに。

まさか、さっきの揺れで橋から──
 ▼ 42 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:46:00 ID:pSAA.iAs [16/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

「ねぇ、あれ」


最悪の想像を、彼女の声が遮った。


「マホちゃん……だよね?」


彼女が指差した方──橋の手すりの向こうに、巨大な白い塊が聳え立っている。形容するとすれば、ウエディングケーキのような。

橋よりもはるかに高いその四段重ねの頂上に、確かにマホイップが乗っていた。
 ▼ 43 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:46:53 ID:pSAA.iAs [17/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

「マホイップ……?」


橋の手すりに駆け寄りケーキを見上げると、頂上のマホイップがこちらを振り向く。

そして目が合うや否や。


「みぃーっ!!」


空に鳴き声を轟かせて、大きな光の塊をこちらに投げつけてきた。
 ▼ 44 ラス@しんちょうミント 20/02/12 20:47:30 ID:PuKQaXTo NGネーム登録 NGID登録 m 報告
10万キロカロリーってどれくらいなんだろ
 ▼ 45 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:54:00 ID:pSAA.iAs [18/29] NGネーム登録 NGID登録 報告


「うおおおお!?」


彼女の手を引っ張って、橋の上を育て屋方面に全力で駆け抜ける。

ずしん、ずしんという音が背中にひびく。

振り向くと、さっきまでいた橋の真ん中がこんもりとクリームに埋まっていた。


「クリームの、ミサイル……?」


なぜ急に巨大化した? なぜ攻撃してくる?

マホイップを見ると、泣きながら次弾を振りかぶっている。

考えてる場合じゃないようだ。

思考を止めて橋の先を見ると、空飛ぶタクシーが降りてきていた。運転手がこちらに大きく手を振っている。

あそこまで行けばなんとかなるか。
 ▼ 46 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:57:46 ID:pSAA.iAs [19/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

「ねぇ、マホちゃんと何があったの!?」


息を切らしながら彼女が叫ぶ。

質問というよりは詰問だ。慌てて首を振る。


「分からん! 何もしてない、と思う!」

「じゃあそれが原因じゃん!」

「ますます分からん!」


差し当たって分かるのは、マホイップは怒っているということぐらいだった。

あと、どうやら彼女も怒っている。
 ▼ 47 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 20:58:55 ID:pSAA.iAs [20/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

「あの小っちゃい箱の中身、一緒に作ったんでしょ」

「へ?」


まだ渡していないプレゼントのことを話すわけには、と思ったが、彼女の剣幕の前に誤魔化しは効かなそうだった。


「……おう。あいつのクリームで作ったケーキが入ってる」

「そのときのマホちゃんの様子は?」

「なんか、変、だった。でも──」

「でもじゃないよ! あんたは、あんたはもう!」


俺は何かとんでもない間違いをしていたんだろうか。

自覚はなくとも、彼女の激昂とクリームの弾幕がそれを物語っている。

このまま逃げてしまっていいのだろうか、俺は。
 ▼ 48 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 21:11:59 ID:pSAA.iAs [21/29] NGネーム登録 NGID登録 報告



「なぁ、俺──」

「くっちゃべってる場合かッ! いいからさっさと来い!」


会話はタクシードライバーの大声に遮られた。


「料金はいらねぇから、早く乗りやがれ!」


空から俺たちを見つけて救助に来てくれたのであろう。
イカつい初老のドライバーは、俺たちを問答無用で座席に押し込むと、颯爽とアーマーガアに飛び乗った。

すぐに車内のスピーカーがハウリングし、割れた声が流れてくる。


『とりあえず西に逃げるが、いいな!?』


おそらく返事などなくても西に向かうつもりだろう。バウタウンまで飛んでしまえば、ハシノマ原っぱにいるマホイップの攻撃は届かない。

でも、それでいいのか。
 ▼ 49 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 21:13:39 ID:pSAA.iAs [22/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

彼女が脇腹を小突いてきた。「いいの?」そう小声で言う。

ああ、そうだよ。いいわけがない。

だってマホイップは泣いている。


「……ハシノマへ」

『ああ!?』

「ハシノマ原っぱ……あのマホイップのところまで連れてってください! 俺はあいつのトレーナーなんです!」

『はぁ〜!? こんのクソッタレェ! やっぱ倍払ってもらうからな!』


グォウ、とアーマーガアが雄叫びを上げて、タクシーは東へと旋回した。
 ▼ 50 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 21:14:13 ID:pSAA.iAs [23/29] NGネーム登録 NGID登録 報告



『アーマーガア、“ひかりのかべ”だ!』


窓を目がけて飛来したクリームのミサイルが、防壁に阻まれてベトリと滴り落ちていく。

アーマーガアとドライバーは、クリーム弾幕を時にすり抜け、時に受け止め、みるみるうちにマホイップに接近していた。
 ▼ 51 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 21:16:12 ID:pSAA.iAs [24/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

『ちぃっ……オイコラ兄ちゃん!』

「へっ!?」

『テメェ、あのマホイップに何しでかしたんだ!』


アンタまでそれを言うのか!


「分かりません! でも、多分、傷つけました!」

『だろうなァ! コイツのクリームのしぶきが、苦しいんだよ! 悲しくなってくんだよオイ!』


そう叫ぶドライバーの声は、たしかになぜか涙に濡れている。


「クリームが……?」


苦しい? 悲しい?
 ▼ 52 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 21:18:34 ID:pSAA.iAs [25/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

「ね、これ見て」


そう言って彼女が見せたのは、スマホ画面に映る記事。


「キョダイマックスの姿……今のマホちゃん、この状態ってことだよね」


スタジアムでクリームを振りまく巨大四段ケーキの写真が載っていた。

“そのクリーム攻撃を浴びると、幸せになりすぎて錯乱状態になってしまうのだ。”

記事にはそう書いてある。

でも、今のあいつのクリームは……。
 ▼ 53 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 21:19:25 ID:pSAA.iAs [26/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

窓から顔を出し、上空からマホイップを見た。

橋から見たときは下の段の影になって見えなかった、最上段のハートのデコレーション。

その全てに小さなヒビが入っていた。

その段の上に立つマホイップは、小箱を抱えて泣いている。泣きながら、クリームの光をあちこちに飛ばしている。

きらびやかなウェディングケーキが、悲しみと苦しみを振りまいて世界を呪っていた。


「失恋だよ」


彼女が呟いた。


「失恋、なのか」


真意は分からなかったが、言葉をただ繰り返すと、言いようもなく苦しくなった。
 ▼ 54 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 21:22:04 ID:pSAA.iAs [27/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

「っうわ!?」


突然車体がガクンと揺れ、危うく窓から放り出されかけた。

何事かと上を見ると、アーマーガアにクリームと割れたハートの飾りが盛り付けられている。

これは、“デコレーション”……なのか?

でも発揮されている効果は、本来のものと全くの正反対だ。


『だああああ、クソが! 高度が上がりやがらねェんだよォ!』


アーマーガアの羽ばたきが力強さを失い、徐々に地面が近づいてくる。

タクシーは緩やかに減速し、マホイップの数百メートル手前に不時着した。
 ▼ 55 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 21:23:33 ID:pSAA.iAs [28/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

「クソッタレ、今日は営業終了だ! あとはテメェらで行きやがれ!」

「っすみません、ありがとうございます!」


ドライバーに追い出されるまま外に出る。

タクシーの横では、クリーム塗れのアーマーガアがぐったりしていた。


「すまん、無理させて」


アーマーガアはぷいっと目を逸らし、翼でよろよろとマホイップの方を指した。

いいから早く行けってことか。飼い主によく似たものだ。
 ▼ 56 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/12 21:24:50 ID:pSAA.iAs [29/29] NGネーム登録 NGID登録 報告

平原には、あちこちに人の高さほどのクリームの山ができていた。

目の前にあったその一つに指を突っ込み、くっついたクリームを口に運ぶ。


「……しんどいな」


頭では分からなくても、味覚から心へと真っ直ぐに伝わってくる。

彼女の言葉を借りるなら、それは失恋の味だった。


 ▼ 57 ッツー@モーモーチーズ 20/02/14 20:57:42 ID:H52./7Bo [1/25] NGネーム登録 NGID登録 報告

「早く迎えに行ってやらないとな」

「来ないでって言ってるんじゃないの? 攻撃してきてるし」


からかうような口調で、わざとらしく彼女が言った。


「……そう言われて本当にほっといたら、もっと泣くだろ」

「合格」


彼女は悪戯に笑う。


「彼氏みたいじゃん」

「家族だよ」


俺は一言訂正して、そびえ立つウエディングケーキへと駆け出した。
 ▼ 58 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:00:51 ID:H52./7Bo [2/25] NGネーム登録 NGID登録 報告





「たっけぇな……」


真下まで近づくと、ケーキはもはやファンシーなお城だった。

見上げていると首が痛くなってくる。

ここから頂上へ、マホイップを迎えに行くのだ。

ロッククライミングの要領でデコレーションに手をかけ、クリームに足をうずめる。

……行けそうだ。
 ▼ 59 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:01:44 ID:H52./7Bo [3/25] NGネーム登録 NGID登録 報告

手が、足がクリームに触れるたびに感情が流れ込んできた。

これがこの3日間俺が見過ごし続けてきたものなのだろう。

暖かくて苦しい何かが、心の中に溢れていく。


ああ、もう、分かったよ。

今行くからな。
 ▼ 60 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:03:14 ID:H52./7Bo [4/25] NGネーム登録 NGID登録 報告





嫌いです。

トレーナーさんとキッチンで並ぶのが嫌いです。真剣な顔がよく見えてしまうから、嫌いです。

一緒にクリームを作るのが嫌いです。気持ちが一緒じゃないので、嫌いです。

箱の中のケーキが嫌いです。少し寂しそうなのが、嫌いです。

あの子が嫌いです。トレーナーさんを取ってしまうので、嫌いです。

トレーナーさんが嫌いです。考えるととても苦しくなるので、嫌いです。

優しいのも、撫でてくれるのも、全部苦しくなるから、嫌いです。

みんな、みんな、嫌いです。

 ▼ 61 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:03:32 ID:H52./7Bo [5/25] NGネーム登録 NGID登録 報告





でも。




 ▼ 62 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:04:09 ID:H52./7Bo [6/25] NGネーム登録 NGID登録 報告

好きです。

好きだから苦しいのです。

苦しいから嫌いなのです。

でもやっぱり、好きなのです。


「迎えにきたぞ」


わたしは、トレーナーさんが好きなのです。

 ▼ 63 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:05:21 ID:H52./7Bo [7/25] NGネーム登録 NGID登録 報告

クリームを作るとき、いつもトレーナーさんが一緒でした。

一緒にいると幸せなのです。特別だから幸せなのです。だからいつも美味しくなるのです。

このケーキも、そうやって作ったのです。

トレーナーさんのことを考えて、特別な幸せの中で作ったのです。

好きだなって思いながら、作ったのです。

あの子に渡すためのケーキなのに、そうやって作ってしまったのです。

だから渡せませんでした。渡したくありませんでした。

わがまま言ってごめんなさい。
 ▼ 64 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:05:51 ID:H52./7Bo [8/25] NGネーム登録 NGID登録 報告

トレーナーさんがあの子を好きでもいいのです。

想いは伝えて欲しいのです。結ばれて欲しいのです。

本当です。苦しくて悲しいけれど、本当です。

でも、このケーキは、トレーナーさんに食べて欲しいのです。

だから……受け取ってくれますか?

 ▼ 65 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:07:03 ID:H52./7Bo [9/25] NGネーム登録 NGID登録 報告




差し出されたケーキの箱を受け取る。


「……開けていいか?」


マホイップはコクリとうなずいた。

慎重に、丁寧にラッピングをほどいていく。

あれだけ暴れていたのに、小さなチョコレートケーキはどこも型崩れしていなかった。


「大事に持っててくれたんだな」


マホイップは少し微笑んで、みぃ、と小さく鳴いた。
 ▼ 66 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:07:38 ID:H52./7Bo [10/25] NGネーム登録 NGID登録 報告

シンプルに飾られた小さなチョコレートケーキ。

その端をフォークで丁寧に切り取り、口に運んだ。

滑らかな舌触りのチョコレートクリームは、


「甘くて、ちょっと苦い」


特別な想いの味がした。



 ▼ 67 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:08:39 ID:H52./7Bo [11/25] NGネーム登録 NGID登録 報告



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 ▼ 68 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:09:33 ID:H52./7Bo [12/25] NGネーム登録 NGID登録 報告





「迎えに行くって言っといて、連れて帰る方法がノープランだったなんてね」


彼女が隣でため息をついた。


「……すまん」


返す言葉もない。

俺がマホイップのボールを携帯していなかったため、マホイップを連れ帰るまでに随分遠回りをしてしまった。


「あんたがケーキに登り始めたときはどうしようかと。てっきり、ボールに戻しに行くんだと思ってたから」


そう、初めからボールに戻せば、そもそも登らなくても良かったのだ。

俺の家まで行ってボールを回収し、頂上まで届けてくれた彼女には頭が上がらない。


『テメェら、次似たようなことがあっても俺は見捨てるからな! もう助けねェからな!』


もちろん、このお人好しすぎるタクシードライバーにも。
 ▼ 69 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:10:14 ID:H52./7Bo [13/25] NGネーム登録 NGID登録 報告

「ところでさ」


一つ気になることがあって、横に座る彼女に話しかける。


「何?」

「何でお前、マホイップの気持ちが分かってたんだ?」


コイツは初めから全て察していたように見えた。

クリームを浴びたわけでもなく、ましてマホイップと生活しているわけでもないのに。
 ▼ 70 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:10:39 ID:H52./7Bo [14/25] NGネーム登録 NGID登録 報告

「んー。あたしってあんただけじゃなくて、マホちゃんの幼馴染みでもあるわけじゃん」


中学以降家に来ることは少なくなったが、たしかにマホミルの頃からの付き合いだ。


「それがどうしたんだ?」

「小2の頃かな。あんたに、その……求婚? したこと、あったでしょ」

「お、おおう。あったな?」


唐突な話題に思わず顔を背ける。窓に映る彼女もまたそっぽを向いていた。
 ▼ 71 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:12:43 ID:H52./7Bo [15/25] NGネーム登録 NGID登録 報告

一呼吸置いて、彼女は話を続ける。


「あの時、マホちゃんがすごい不安そうな顔してたんだよ」

「え。でも、確か俺あの時……」

「うん、断ったよね。そしたらマホちゃん、今度はホッとした顔しててさ」


黒い窓に映る彼女が苦笑いした。


「あの顔を見ちゃってから、告白とかそういうの、ちょっと怖くて」


ああ、そういうことだったのか。

俺たちの関係に一切の進展がなかった理由が今ようやく分かった。
 ▼ 72 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:13:22 ID:H52./7Bo [16/25] NGネーム登録 NGID登録 報告

「って、あたしの話はいいんだよ!」


ハッとしたように首を振って、彼女が声をうわずらせる。


「そんな恋するマホちゃんが、あたしにケーキ作っちゃったわけじゃん! ……そんなの、絶対しんどいよ」


そう言って苦しそうに胸を抑える。


「ああ。……しんどかったんだよな」


マホイップが振りまいたクリームの味を、舌と心が鮮明に覚えていた。
 ▼ 73 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:14:05 ID:H52./7Bo [17/25] NGネーム登録 NGID登録 報告

手元のボールに視線を落とすと、中でマホイップがすやすやと眠っている。

しんどくて、苦しくて、悲しかったのだ。

でも俺はそれを分かってやれなかった。

だからマホイップは気持ちを伝えるすべを求めて、ワイルドエリアの荒ぶる力を借りたのだ。

俺にただ一つ小さなわがままを言うために。
 ▼ 74 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:14:34 ID:H52./7Bo [18/25] NGネーム登録 NGID登録 報告

「……なぁ。いいんだってさ」


いろいろな内容を省略した俺の言葉に、彼女が首を傾げた。


「いいって、何が」

「その、だから……。ケーキを受け取ってくれれば、あとはいいって。マホイップが」

「あとはって何よ、あとはって」

「いや、なんで分かんねぇんだよ」
 ▼ 75 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:14:54 ID:H52./7Bo [19/25] NGネーム登録 NGID登録 報告

みなまで言わすなと彼女を睨むと、彼女はいたずらな笑みを浮かべていた。


「渡したいものは分かったけど、伝えたいことはあたし、まだ聞いてないから」


……みなまで言えってことか。

“渡したいものと、伝えたいことがある。”

橋の上でそう言ったのは俺だもんな。
 ▼ 76 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:15:31 ID:H52./7Bo [20/25] NGネーム登録 NGID登録 報告


それから数分か、それとも数秒か、とにかく世界で一番長い沈黙があり。

俺が少しつっかえながらありふれた言葉で想いを伝え。

そして彼女もまた、改まった態度で頷き、ありふれた言葉で返事をした。


スピーカーから聞こえるわざとらしい咳払いが、俺たちを祝福していた。
 ▼ 77 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:16:31 ID:H52./7Bo [21/25] NGネーム登録 NGID登録 報告







「お前が好きだ……から、付き合ってくれ」

「こちらこそ、うん。お願いします」


モンスターボールの中で聞いたのは、とても特別な二人のお話でした。

トレーナーさんはちゃんと想いを伝えて、あの子と結ばれたみたいです。

よかったです。

運転手さん、茶化しちゃダメです。
 ▼ 78 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:16:55 ID:H52./7Bo [22/25] NGネーム登録 NGID登録 報告

これでいいのです。

ちょっぴり苦いけど、いいのです。

わたしはトレーナーさんが好きだから、やっぱりトレーナーさんが幸せになるのがいいです。

特別な気持ちは大事にしなきゃいけません。
 ▼ 79 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:17:35 ID:H52./7Bo [23/25] NGネーム登録 NGID登録 報告

それに。


「ね。あたしたち付き合う前に、ひとつだけ確認」

「確認?」

「もうマホちゃんのこと泣かせちゃダメだよ?」

「分かってるよ。大切な家族だからな」


わたしも大事にされているのです。

あんなところまで迎えにきてくれてしまうくらい、大事に。
 ▼ 80 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:18:26 ID:H52./7Bo [24/25] NGネーム登録 NGID登録 報告


わたしは今、幸せです。

とてもとっても、幸せなのです。

 ▼ 81 ャイン◆pe3jx/lPm. 20/02/14 21:18:57 ID:H52./7Bo [25/25] NGネーム登録 NGID登録 報告






【SS】大団円はビター&スイート





                 おわり
 ▼ 82 ンチャム@きれいなぬけがら 20/02/18 08:30:16 ID:Q4ZQRwzI NGネーム登録 NGID登録 m 報告
おっつおつ!!
良き!!
 ▼ 83 ジョッチ@ホロキャスター 20/02/18 16:45:22 ID:Ew72/YL6 NGネーム登録 NGID登録 報告
乙ー!
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