>>19 なぜキルミーベイベーだけが執拗に「死んだ」と語られるのだろうか。あるいはなぜキルミーベイベーは「死んでしまった」と多くの人が感じたのだろうか。オープニングテーマとエンディングテーマに暗喩が示されている。 「いつまでふたりでいるのかな」「どこまでふたりでいるのかな」「おとなになるまでいいのかな」「このままふたりでいるのかな」「たのしいじかんがいいのかな」 上記はエンディングテーマ「ふたりのきもちのほんとのひみつ」の抜粋、曲調は和楽器を駆使しており、ソーニャのやすなに向けた「本当の気持ち」が詩われていることがわかる。一方で、ロシア民謡を基調にしたオープニングテーマは「キルミーのベイベー!」とタイトルが示す通り、やすながソーニャに向けた詩(キルミー)である。すなわちオープニングテーマは「やすな」のラブコール、エンディングテーマは「ソーニャ」からのアンサーソングとして読み解ける。 一見無意味な単語を並べた電波ソングに思えるが、ワサワサは Wath'up?、「どうかしたの?」と意味を持つスラング。ナーミンは You know what I mean?、「あたしの言うことわかってるか?」という意味を持つスラング、どちらもHIPHOPで多用される。カモカモ(come on)、オンサイト(on sight)、スローライド(slow ride)、オールライト(all right)、ソータイト(so tight)、フォリシッ(holy shit)も同様。ほーみー(homie)はアフリカ系アメリカ人から生まれた「地元の仲間」というニュアンスのスラング。では、やすなとソーニャは地元の仲間だろうか?そうではない。生まれも、生きる世界も違う。 一話はやすなの独白から始まった。キルミーベイベーは折部やすなの一人称から見た世界である。作中ではやすな、ソーニャ、あぎり以外のキャラは、シルエット、背景として描かれている。実質的にあぎりは人外なので日常を生きる人間はやすなとソーニャしかいない。あまりにもソーニャと密接した世界が、やすなの視点から描かれている。やすなはソーニャに纏わり付く。ウザがられながらも嫌われることはない。なんだかんだでソーニャは付き合ってくれる。キルミーベイベーの幸福で理想的な日常、楽しい時間が描かれている。 やすなとソーニャは、「ワサワサ(Wath'up? Wath'up?)」「なんだよナーミン(You know what I mean?)」と、スラングを用いて会話する友人となった。それでも、やすなとソーニャは「広義なベストフレンド!?」で、どうしても近づけない距離がある。やすなとソーニャの生きる世界が違った宿命。だからこそ、やすなは「キルミーベイベー」と挑発する。ソーニャは「好きよ貴方が殺したいほど」という本当の気持ちは語らないが「腹いせで/どつき」友人として馴染む。距離があるからこそ、逆説的に理解し合っている。決して完全には近づけないサガを背負った人間の到達できる日常の極致がある。
https://img.pokemonbbs.com/upl/04/273776-1458458620_1.jpg