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自分の良心に基づいた行動ではあったし、使命感という言葉で表されるような思いも確かにあった。
それでもこの行為が正しかったのかはわからないし、今後もわかることはないと思う。
だからとりあえずチーズを食べることにした。
エモンガという存在は自分にあてがわれた1つの社会的ステータスに過ぎない。
これが自分の今までの考え方だ。
だからエモなんていう語尾をつけて話すことはしなかった。
そうでないとこの考え方を維持することができないと感じたからだ。
エモンガという存在が嫌いだという訳ではない。
語尾にエモをつけて話す人は周りにいくらでもいるし、そういうエモンガにはそういうエモンガなりの考え方があるはずだ。
でも自分は(当たり前のことだが)そういう人の考え方とは違う。
エモンガが社会的ステータスに過ぎないという考え方をもってしまっているのだ。
なぜこの考え方をもっているのかと聞かれてもすぐには答えることができない。
それは自分が生きてきたこれまでで、それは内的であろうと外的であろうといくつもの影響を受けて形成されてきたからだ。
でもその影響というのは案外インパクトに比例しないのではないかと思い始めている。
例えば長年連れ添ってきた友人の死別は単なる悲しいという感情だけで片付いてしまうこともある一方で、今日食べたハンバーグが美味しかったのが将来の結婚相手を決めることになるかもしれない。
だから、とりあえず、今はこの考え方をもっているということしか言うことができない。
もう1つの欠かしてはならない視点は、なぜこの考え方を維持しないといけないのかということだ。
自分はエモという語尾を嫌っている、その原因としてエモを使ってしまうと今までの考え方が維持できなくなるからということを挙げている。
だから自分は自分の生き方にある程度の一貫性を持たせたいという別の考え方をもっているんじゃないかと思う。
それは例えば昨日の自分が明日の自分と異なっていいはずがないだろうという考えに思い至らせる。
その考えだけをスクラップのように切り取って考えてみると、別に昨日の自分と明日の自分が異なっていても何も問題はないと思うのだけれども、それを自分の考え方という大きな川の中に沈めて地上から眺めてみると、どうやら違った見え方をするらしい。
僕はチーズを求めてコンビニに行くことにした。